〇高柳健次郎 (1899~1990)
工学者。静岡県浜名郡和田村(現静岡県浜松市中央区)生まれ。静岡師範学校を経て、東京高等工業学校(現東京科学大学)附設工業教員養成所卒業。1924年に浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)助教授となり、本格的に「無線遠視法(テレビジョン)」の本格的研究を開始する。1926年にブラウン管による電送・受信に世界で初めて成功した。1937年にNHKに招かれる。戦後日本ビクターに入り、NHK・シャープ・東芝と共同でテレビ受像機を完成させた。

<高柳健次郎像>
場所:静岡大学浜松キャンパス(静岡県浜松市中区城北3-5-1)
竣工:1985年6月
像高:
作者: 太田儀八
撮影時:2024年10月6日
説明:キャンパス入ってすぐのところにある。脇には高柳氏の経歴がひな壇状に重なっている。同大学の「静岡大学高柳記念未来技術創造館」の1Fにも銅像がある。
〇戸田貞雄 (1907~1985)
竜ヶ岩洞の発見、開発者。政治家(奥山村村会議員、引佐町会議員)、実業家(戸田製材、戸田建設)。

<戸田貞雄像>
竣工:1987年10月
像高:
作者:
撮影時:2021年3月26日
説明:もともと石灰岩の山だった竜ヶ岩山。セメントなどの石灰岩採掘などをおこなっていたが、戸田が「鍾乳洞があるに違いない」と一人で掘り、ケービングが趣味の若者二人と最終的に鍾乳洞を掘り当てたという。全長約1キロ。公開されているのは400メートル程。
〇中村八重市 (?~?)
社会活動家。浜松市の「公益信託浜松ライオンズクラブ中村八重市青少年基金」の設立者。

<中村八重市像>
竣工:1989年1月
像高:
作者:水野欽三郎
撮影時:2021年3月26日
説明:あまり情報がないが、方広寺にあるのは研修道場の開設費用を寄贈したらしい。とすると、かなりの資産家であったと思われる。
〇足利紫山 (1859~1959)
臨済宗の僧侶。尾張国(現愛知県)生まれ。俗姓は野々垣。修行後、大分万寿寺住持、奥山方広寺派管長、臨済宗初代管長を務めた。

<足利紫山像>
竣工:1958年10月
像高:
作者:水野欽三郎
撮影時:2021年3月26日
説明:方広寺の参道にある。
〇乃木希典
略

<乃木希典像>
竣工:1960年4月(1943年作は翌年の地震で倒壊)
像高:
撮影時:
説明:もともと(こちらは石像)は、地元の渡邉兼次郎氏が乃木希典の人格に惚れて地域の小中学生からの浄財で作ったもの。1944年の昭和東南海地震で倒壊。戦後になり、希典のボーイスカウト・キャンピングを教育に取り入れていたことから、日本ボーイスカウト静岡県連が作成したとある。
〇豊田佐吉 (1867~1930)
発明家、実業家。遠江国敷知郡山口村(現静岡県湖西市)生まれ。18歳の頃に「発明で身を立てよう」と決意し、1890年に「豊田式木製人力織機」を発明、1896年に「豊田式木鉄混製力織機」を作る。その後豊田紡織(現トヨダ紡織)、豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)を創業した。

<豊田佐吉像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2021年3月26日
説明:記念館内にも立像がいます。

〇藤野正治 (1919~1989)
医者。藤野整形外科を作り、また浜松養護園の園長を務めた。福祉の理念を継承するために「医療法人社団藤花会」を作った。「身体障害者」「乳児先天性股関節脱臼」の早期検診の普及に努めた。

<藤野正治像>
場所:花平ケアセンター(静岡県浜松市浜名区引佐町花平708)
竣工:2008年 10月
像高:
作者:熊谷友児
撮影時:2021年3月26日
説明:丘を上がって行き、グループホームなどをある一角のケアセンター玄関前に像があった。
長かった静岡県編もこれで一段落です。学校系はあまり撮れませんでした。花川小学校(浜松市中区花川町781)の北村雷三郎。常葉大学浜松キャンパス(浜松市北区都田町1230)の木宮泰彦(常葉大学附属橘小学校と常葉大学静岡瀬名キャンパス:静岡市駿河区瀬名1-22-1にもあります)。浜松工業高校(浜松市北区初生町1150)の山本又六。浜松学芸高校(浜松市中区下池川町34-3)の中村春治郎・中村ミツ。西遠女子高校(浜松市中区佐藤3-20-1)の岡本巌・岡本富郎。静岡大学浜松キャンパス図書館の関口壮吉。静岡学園高校(静岡市葵区東鷹匠町25)の牧野賢一。静岡電子情報カレッジ(静岡市駿河区南町13-5)の中村忠雄。静岡資格特別支援学校(静岡市駿河区曲金3-8-1)の小杉あさ。回れなかった粟ヶ岳世界農業遺産茶草場テラス(掛川市東山1051-1)の栄西。農研機構金谷茶業研究拠点(島田市金谷猪土居2769)の宮地鉄治。今井伸郎屋敷跡も見つけられなかった。
今回、伊豆の大井上康像を見つけたり、草薙の五島慶太がイオンから入ることに気づいたり、過去の宿題を解決できてよかったですね。