銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

富山県編 その6

日本武尊 (?~?)

 「ヤマトタケル」と読むが、表記は『日本書紀』では主に「日本武尊」。『古事記』では主に「倭建命」である。父は景行天皇。 

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日本武尊像>

場所:櫛田コミュニティセンターグラウンド脇(富山県射水市串田864-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2018年12月2日

説明:この櫛田コミュニティセンターは、櫛田小学校があった場所。脇に立つ石碑に「日露戦争」と書いてあった気がするので、小学校時代に立てられたのではないかと考えている。像はコミュニティセンターの施設とは反対側のグラウンドの端に立つ。すぐ脇にはお馴染みの二宮金次郎の石像も立つ。 

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(これは前回行ったとき:2009年8月26日)

 

源義仲 (1154~1184)

 平安末期の武士。清和源氏源義賢の次男。父が1155年に鎌倉で討たれると、信濃の中原兼遠に預けられ、「木曽義仲」と名乗ることになった。1180年に以仁王の令旨により挙兵。北陸方面を転戦して、倶利伽羅峠の戦い平維盛を破るとその勢いで入京し、平家を都落ちに追い込んだ。その後後白河法皇と対立し、源頼朝軍(源範頼源義経)と近江粟津の戦いで戦死した。  

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源義仲像>

場所:弓の清水(ゆみのしょうず)(富山県高岡市常国592)

竣工:

像高:

作者: 南部祥雲

撮影時: 2018年12月2日

説明:この地は倶利伽羅峠の戦いの前哨戦の般若野の戦いがおこなわれたところ。参道を歩いていた源氏方の武者が「のどの渇き」を訴えたため、義仲が「南無八幡大菩薩」と唱えて大地に向かって弓を突くと、その場所から清水が湧き出たことから。その清水でのどを潤した源氏方は再び元気を出して進撃したと言われる。

 場所としては庄川河岸段丘扇状地で形成された良質の水の地であり、いまもコンコンと水が湧いている。

 

源義仲  

 略 

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 <源義仲像>

場所:中田中央公園(富山県高岡市常国327)

竣工: 1986年

像高:

作者: 田畑功

撮影時: 2018年12月2日

説明:中田ショッピングセンター設立の記念として地域の有志が設立したもの。ショッピングセンターは現在アルビス中田となっている。 

 

〇松本駒次郎  (?)

 大正、昭和初期の教育者。『八尾史談』の編纂者。

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<松本駒次郎像>

場所:城ヶ山公園(富山市八尾町諏訪町)

竣工: 1962年9月

像高:

作者: 松原重正

撮影時: 2018年12月2日

説明:八尾町を見下ろす城ヶ山公園の山頂部の公園内にいる。

 

〇米屋少兵衛 (1584~1641)

 江戸時代前期の農民。八尾村の肝煎役(名主相当)。農耕地の少ない八尾村を発展させるため、市場を開き産業を興すため桐山村と合併を検討、1636年についに両村は合併して八尾町となった。町になってからも肝煎役や町年寄を勤めた。 

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 <米屋少兵衛像>

場所:城ヶ山公園(富山市八尾町諏訪町)

竣工: 1933年11月

像高:

作者: 横江嘉純

撮影時: 2018年12月2日

説明:この像は上記説明のように、八尾町の認可が下りたとき、意気揚々と村に帰った際の姿を彫り上げたもの。作者の横江嘉純氏はこの地の出身。 

 

〇野原清治  (?)

 実業家、政治家。㈱野原組を設立、旧利賀村の村議および、25~26代(1967~70年)村長。東京都武蔵野市姉妹都市を結び、村内道路の防雪設備を整え、冬期も富山市域との通行可能にした。 

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<野原清治像>

場所:利賀行政センター(富山県南砺市利賀村171)の道路を挟んで反対側

竣工: 1994年9月

像高:

作者: 石黒孫七

撮影時: 2018年12月2日

説明:旧利賀村役場(現利賀行政センター)の敷地の反対側の広場に立つ。氏は合掌文化村(現富山県合掌芸術公園)を作り、そこは世界的な利賀フェスティバル(世界演劇祭)を開く会場となり、舞台芸術の一大拠点となっている(南砺市利賀村上百瀬48)。

 

〇須河信一  (1895~1975)

 政治家。富山県東礪波郡利賀村(現南砺市坂上生まれ。旧利賀村の14~17代(1925~40年)の村長。県議会議員、県議会議長。旧利賀村の交通、通信の建設などに尽力した。 

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<須河信一像>

場所:利賀行政センター(富山県南砺市利賀村171)

竣工: 1954年10月

像高:

作者: 松村秀太郎高岡銅器

撮影時: 2018年12月2日

説明:旧利賀村は厳しい山の中にある。道は綴れ折りで、像の立つその旧利賀村役場(現利賀行政センター)も、綴れ折りのヘアピン状の道の内側にある(そこはちょうど交差点となっているが…)。近くの利賀森林組合に田中盛好像もあるはずだったが、今は施設も使われていないようで、像は跡形もなかった(2012年のGoogleストリートビューには映っているのに…)。