銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

香川県編 その4

〇山川波次 (?~?)

 教育者。英明高校(明善高等女学校)の創設者、初代校長。 

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<山川波次像>

場所:英明高校香川県高松市亀岡町1-10)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2014年12月7日

説明:英明高校の正面入り口付近にある。通りから見えるし、そこまではフェンスや校門がない。ただし写真は校地に入らずに道路から撮影したため暗い。 

 

三木武吉 (1884~1956)

 政治家。自由民主党結党による保守合同の立役者。愛媛県高松市(現香川県高松市)生まれ。司法官から弁護士となる。1917年から1956年に亡くなるまで衆議院議員を11期務める。「ヤジ将軍」「政界の古狸」の異名を持つが、大臣経験は一度もなかった。

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三木武吉像>

場所:栗林公園外(香川県高松市中野町30)

竣工: 1958年9月

像高:

作者:

撮影時:2014年12月7日

説明:高松駅から栗林公園に向かう中央通り沿いにいる。経歴を読むと、「豪放磊落」を地でいったような人物だったようだ。いいお顔である。銅像脇の説明書きに「一般から募金して」とあるのがわかる気がした。

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〇松平頼壽(まつだいらよりなが) (1874~1944)

 政治家、教育者。明治から昭和期にかけての華族(伯爵)。貴族院議員。貴族院議長、旧制本郷中学校(現本郷中・高)を創設、大東文化学院(現大東文化大学)総長などを歴任した。旧高松藩の最後の藩主松平頼聰(まつだいらよりとし)の八男。盆栽を趣味とし、「小品盆栽」(20cm前後の小鉢を集めて棚飾りの妙を演出)を始めた先駆者。

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<松平頼壽像>

場所:栗林公園内(香川県高松市栗林町1-20)

竣工: 1934年

像高:

作者: 藤川勇造

撮影時:2014年12月7日

説明:栗林公園内の北西の奥地にいる。像の作者、藤川勇造は高松市出身の彫刻家。日本人で唯一、直接ロダンのもとで学んだ。

  

〇ジャコモ=プッチーニ (1858~1924)

 イタリアの作曲家。『蝶々夫人』『トスカ』などのオペラで知られる。正式名は、「ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニ」。

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 <ジャコモ=プッチーニ像>

場所:プッチーニの小路(香川県高松市鍛冶屋町4-1)

竣工:

像高:

作者: 池田清史

撮影時:2014年12月7日

説明:高松市の街中の繁華街の細い路地の入口(フェスタビル2の前)にいる。何でもある会社が「街の活性化」を図るために、東京の「モーツァルトの小路」(東京都渋谷区の竹下通りの南裏側)をモチーフに創案したらしい。像の製作者が、プッチーニの遺族と知り合いだったために、胸像の製作が許されたという。

 

〇『父帰る』 

 高松市出身の作家菊池寛の代表戯曲『父帰る』(1917年)をモチーフにした像。登場人物は、黒田賢一郎(一番右端の像。長男)、新二郎(左から二番目の立ち腰の像。次男)、おたね(妹)、おたか(母)、宗太郎(左側の立っている像。父)の5人であり、像ではすべての人物が再現されている。 

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父帰る像>

場所:香川銀行本店前(香川県高松市亀井町6)

竣工:1995年2月

像高:

作者: 池川直

撮影時:2014年12月7日(下記の写真は2019年1月28日)

説明:この前の通りを「菊池寛通り」と呼ぶが、そのことを市民に印象付ける目的で設置された。 

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〇中繁治 (1890~1955)

 経営者、政治家。香川県木田郡庵治村(現高松市庵治町)生まれ。庵治に農協を設立し活躍した。 

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<中繁治像>

場所:JA香川県庵治支店(香川県高松市庵治町浜5824−3)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月28日

説明:庵治(あじ)の町をGoogleストリートで探索中に発見する。ヒロ団長御推奨の農協施設である。竣工年はわからないが、結構古い像と思われる。

  

弘法大師 略 

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弘法大師像>

場所:八栗寺香川県高松市牟礼町3416)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月28日

説明:八栗寺は「四国88か所霊場巡り」の85番札所である。この像は石像である。表参道を歩いて上がってくると(今はケーブルカーで上がることができる)最初に出会うので、「お迎え大師」と呼ばれている。大変景色が良く、正面右手に屋島、その奥に高松の市街が臨める。

  

〇木喰以空 (?~?)

 江戸時代初期の僧侶。摂津国箕面勝尾寺の住職。西日本各地に歓喜天を勧請していたようだ。ちなみに「木喰」とは、火食・肉食を避け、米穀を断ち、木の実などだけを食べて修行すること。 

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<木喰以空像>

場所:矢栗寺(香川県高松市牟礼町3416)

竣工: 1965年

像高:

作者: 鈴木基弘か?(「基弘」のサインあり)

撮影時:2019年1月28日

説明:「天尊行者」として有名だった木喰以空が、八栗寺歓喜天を勧請し、寺の繁栄の基を築いたということで作られた。像は自画像を基に作られた。本堂から多宝塔に向かう途中の、地蔵堂の手前にいる。彼はあちこちの寺の復興をしていたようで、「山崎の戦い」で有名な京都府大山崎町の観音寺(山崎聖天)の中興もしている。また八栗寺の立つ五剣山は、ゴツゴツとした岩山で、西側に立つ山頂の平らな屋島とは好対照である。 

 

〇岡佳吉 (1884~1958)

 農政家。香川県の牟礼農協の創設者。香川県農業協同組合中央会会長。

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<岡佳吉像>

場所:JA香川県牟礼支店(香川県高松市牟礼町1147-3)

竣工: 1962年9月

像高:

作者: 横山文夫

撮影時:2019年1月28日

説明:中繁治像と同じく、JA支店をGoogleストリートで眺めているときに発見。同像は、JR高松駅前の「JA香川県本店」にもいるはずだが、2019年1月当時は、建物を新築中で「宮脇朝男」像ともども発見できなかった。

 

 

那須与一 (1169?~1190?)

 平安時代末期の武将。那須資隆(宗隆とも)。下野国那須郡那珂川町(現栃木県)生まれか?幼いころから弓の腕が達者で、『平家物語』では、屋島の戦いの際に、平氏軍の美女が、揺れる小舟の竿の先に就けられた扇の的を射よと挑発。源義経那須与一を指名した。与一が神仏の加護を祈って鏑矢を放つと矢は見事に的の柄を射抜いた。とのエピソードがある。 

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那須与一像>

場所:新川橋香川県高松市屋島西町)

竣工: 1992年

像高:

作者:

撮影時:2019年1月28日

説明:この像は、最近よく見る橋の欄干に立てられた像で、道路の反対側には、扇を止めた竿を持つ、女性の像も立っている。像は橋の両サイドの欄干にいる)対岸の女官を撮るのを忘れていた)。