〇中岡慎太郎 (1836<天保9>年~1867<慶応3>年)
人物 幕末の志士。土佐国安芸郡北川郷柏木村(現:高知県安芸郡北川村柏木)の大庄屋の家に生まれる。武市瑞山に学び土佐勤皇党に参加するが、八月十八日の政変後、土佐藩内でも尊攘派への弾圧が始まると脱藩、長州藩に亡命する。その後は長州で活動するも、幕末の混乱の中、尊皇攘夷から雄藩連合の武力倒幕に転換し、1866年坂本龍馬と薩長連合(同盟)を成功させる。その後土佐藩から許され薩土盟約も成功させる。1867年11月京都近江屋で坂本龍馬とともに襲われ、3日後死亡した。
<中岡慎太郎像1>
竣工: 1935<昭和10>年
像高: 約5.45ⅿ
作者: 本山白雲
撮影時: 2012年1月9日
説明:立っている場所は、室戸岬の道路際。岬を経て太平洋を向いている。1935<昭和10>年に安芸郡青年団が中心となって立てたもの。全体的に頭でっかちな像であるが、本人の残っている写真を見てもやや頭のデカい感じがする…。
<中岡慎太郎像2>
竣工: 1999<平成11>年
像高: 153㎝(実際の身長を推測して設計したらしい)
作者:
撮影時: 2012年1月9日
説明:慎太郎の生家の上にある「中岡慎太郎館」の前に立つ(館内には慎太郎のろう人形の座像もあるが、館内撮影禁止)。館は生誕150周年の記念を迎えた際に企図され、「ふるさと創生資金」を基に建てられた。そして1999年生誕160年を記念して全国からの募金で銅像を建設した。この石碑の下には地域の小中学校の文集がタイムカプセルとして封入されており、生誕200年の2038年に取り出されることとなっているそうである。
※館の下には、復元された中岡慎太郎生家があり、その中には小さな像が2体(座像と立像)いるのだが、2012年に周った際には取材を怠って見ていない…。
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