〇濱尾新 (1849<嘉永2>年~1925<大正14>年)
東大第3代、8代学長。文部大臣、貴族院議員、枢密院議長、内大臣。法学博士。但馬国豊岡藩主濱尾嘉平治の子。本郷キャンパスの整備に力を入れ、「土木総長」のあだ名も。1925年に自宅で散歩中、焚火をしていた穴に落ちて全身やけどで死去した。
<濱尾新像>
竣工: 1932<昭和7>年
像高:
作者: 堀進二
撮影時: 2019年1月14日
説明:椅子に座ったかなりデカい銅像。東大本郷キャンパスでも最大。足を組み、右手を頬にあてた思索のポーズである。銅像の様子からかなり傲慢な人かと思いきや、温厚でねばり強い性格だったらしい。
(ちょっと遊んで撮ってみました)
〇エドワード=ダイヴァース (1837<天保8>年~1912<明治45>年)
イギリス人のお雇い外国人の化学者。工部大学校、帝国理科大学で教鞭をとる。ヨーロッパの理学・化学研究の最先端を日本に伝えた。日本に26年もおり、1899年に帰国するが、東大名誉教授となった。
<エドワード=ダイヴァース像>
場所:理学部化学館前
竣工: 1900<明治33>年
像高:
作者: 長沼守敬
撮影時: 2019年1月14日
説明:この像は移転が多かったらしく、当初は理学部1号館前あたりにあり、その後化学館(現在の位置に)、1941年に太平洋戦争が始まると、敵国人の像の撤去が求められたが、こっそりと図書館書庫で保管、1964年に科学館中庭に再建され、2005年に現在の位置に戻された。
〇山川健次郎 (1854<安政元>年~1931<昭和6>年)
会津藩出身。少年時代には白虎隊士だった。1893年に26歳の若さで東京大学理学部物理学教授に。清廉潔白で、社会を導く人と言う意味で「星座の人」と呼ばれた。
東大の第6代、9代の総長(在任11年11カ月は最長)。京都帝国大学学長を東大総長と兼ね、九州帝国大学初代学長、貴族院議など要職を務めた。
<山川健次郎像>
場所:理学部1号館西側前(安田講堂裏手)
竣工: 1930<昭和5>年に銅像を作り、2006年に現在地に設置
像高:
作者:
撮影時: 2019年1月14日
説明:東大の銅像群では設置は2番目に新しい。これを作るのに調べていたら、2012年5月に九州大学伊都キャンパスに山川健次郎像胸像が立てられたの知った。ここにも行かねば!
〇青山胤通 (1859<安政6>年~1917<大正6>年)
美濃(岐阜県)出身。1882年に医科大学卒業後、ドイツに留学、内科学を専攻した。1901<明治34>年医科大学長となり、16年も学長を務めた。日露戦争で多くの兵氏の命を奪った「脚気」について、原因を感染症とした森林太郎(鷗外)説を支持した。また夏目漱石の『三四郎』の中にも登場する。
<青山胤通像>
場所:医学部付属病院前
竣工: 1920<大正9>年
像高:
作者: 新海竹太郎
撮影時: 2019年1月14日
説明:医学部付属病院前に2体並ぶ胸像の左側の像。右肘をついた姿の像である。