銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

富山県編 その2

親鸞 (1173~1263)
 鎌倉時代の僧侶。浄土真宗一向宗)の開祖。山城国(現京都府京都市)に生まれる。承元の法難で師の法然とともに流刑となり、越後国国府(現新潟県上越市)に配流となった。

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親鸞像>
場所:足洗潟公園(富山県射水市本江針山開)
竣工: 1973年4月
像高:
作者: ㈱青銅社
撮影時: 2018年12月1日
説明:場所は正確に言うと、足洗潟公園と道路(国道415号線)を挟んで反対の三角形の土地(住所は射水市海老江錬合)。「足洗潟」の由来は、親鸞が承元の法難で越後に流された途中、この地で足を清めたからとか(当時は「芦原潟」と呼ばれ、明治初期から「足洗潟」となったという)。


〇馬場はる (1886~1971)
 大正~昭和期の社会事業家。富山県生まれ。富山の海運業者馬場道久と結婚し、夫の死後(夫はわずか40歳の若さで亡くなった)家業の傍ら教育事業に尽くす。1923年に旧制富山高校(現富山大学)の建設資金を寄付し、同校は翌年開校した。この地は富山大学の移転後、馬場記念公園となっている。

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<馬場はる像>
場所:馬場記念公園(富山市蓮町1-4)
竣工: 1995年10月
像高:
作者: 山瀬晋吾
撮影時: 2018年12月1日
説明:富山市の岩瀬には、馬場邸が現存している。作者の山瀬晋吾は、石川県の金沢城址の徳田秋声像も手掛けている。

 

〇南日恒太郎(なんにちこうたろう) (1871~1928)
 明治から大正期にかけての教育者。富山県生まれ。旧制富山中学から第四高校(現金沢大学)に進学するも中退、独学で教員検定試験に合格し、正則英語学校(現正則学園高校)、第三高校教授、学習院教授を歴任し、旧制富山高校ができると、初代校長に迎えられた。専門は英語。ラフカディオ=ハーンの蔵書を引き受け(費用は馬場はるが出した)、「ヘルン文庫」として現在も富山大学附属図書館にある。

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<南日恒太郎像>
場所:馬場記念公園(富山市蓮町1-4)
竣工: 1973年8月
像高:
作者: 朝倉文夫
撮影時: 2018年12月1日
説明:後で述べるように、南日恒太郎像は現富山大学五福キャンパスにもある。馬場記念公園には、バンカラ気味なマントに高下駄の「富高生」の銅像(「青冥万里」の銘あり)や旧富山高校の門柱が残る。

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〇大平山濤 (1916~2007)
 富山県朝日町生まれの書家。本名大平正信。金子鷗亭に師事し、高校教師を経て書家として独立、数々の賞を得、文化功労者となった。魚津市新川文化ホールには「山濤記念室」があり、作品の一部が展示されている。

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<大平山濤像>
場所:JR泊駅(富山県下新川郡朝日町平柳)
竣工:2004年5月
像高:
作者: 善本秀作
撮影時: 2018年12月1日
説明:作者の善本秀作は、井波彫刻の第一人者だった。

 

神功皇后 (?~?)
 息長宿禰王の子で、仲哀天皇の皇后。天皇熊襲征伐に随伴し、天皇の死後それを達成した。さらに三韓征伐も成功したとされる(『日本書紀』)。奈良市に山陵がある。いずれも伝説の域を出ない。

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神功皇后像>
場所:入善神社(富山県下新川郡入善町入善3601)
竣工: 1911年8月
像高:
作者: 大塚秀之丞
撮影時: 2018年12月1日
説明:作者(原型制作)の大塚秀之丞(大塚楽堂)は、山口県生まれで石川県九谷焼の陶器原型指導にあたっていたが、1894年に富山県工芸学校(現高岡工芸高校)の金工科教師として赴任、多くの後進を育てた。高岡金工会の初代会長にもなり、「高岡銅器の恩人」らしい。あとで出てくる氷見市朝日山公園の神武天皇像、福井県足羽山公園の橋本左内像、兵庫県高砂市高砂神社の工楽松右衛門像、京都府伏見区乃木神社の村野山人像などある。
入善神社の祭神は「誉田別尊・建御名方尊」で、「誉田別尊」は神功皇后の子ども。

一つ気になるのが、右手に持つ棒(?)。他の方の写真を見るともっと長かった気がするのだが…。

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参考までに「日本の銅像探偵団」の投稿写真(まるこさん撮影)。生む、やっぱり短い…。他の写真を見ると「日本の銅像探偵団」よりさらに長いものも見受けられる。何があったのだろうか?


松尾芭蕉 (1644~1694)
 江戸時代の俳諧師伊賀国(現三重県伊賀市)生まれ。

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松尾芭蕉像>
場所:黒部大橋北詰(富山県下新川郡入善町上飯野929付近)
竣工: 1997年7月
像高: 1m余りの小さな像
作者:
撮影時: 2018年12月1日
説明:『奥の細道』には黒部川が「くろべ四十八ヶ瀬とかや数知れぬ川をわたりて、那古といふ浦に出」と出てくる。1997年に第10回「おくの細道サミット」が入善町でおこなわれたのを記念して、この像と前記の文の記念碑がこの地に立てられた。ただし、芭蕉黒部川をどこで渡渉したかはわかっていない。

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〇五十里浅吉 (1919~)
 入善町の町議会議員2期。入善町土地改良区理事長を長年務める。

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<五十里浅吉像>
場所:花月公園(富山県下新川郡入善町入善東寺田3649-1)
竣工: 1990年8月
像高:
作者: 田畑功
撮影時: 2018年12月1日
説明:ネット調査では見つからず、入善神社の神功皇后像を探していて見つける。入善神社と入善郵便局の間の広場(花月公園というらしい)の脇。碑文を見ると、寿像なのかもしれない…。