銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

富山県編 その1

 富山県を始めます。富山県は全国の銅器(銅像や撞鐘など)の生産90%を占める高岡市を擁しています。侮れない量の銅像が居ます。調べた範囲で130体程度。

 最初に訪れたのは2009年。金沢に行った際、一日だけ高岡市周辺を周った時でした。その後銅像にどっぷりハマり、2018年12月にみっちりと周りました。そこで初めて体験したのが、あとで写真がありますが銅像の雪囲い(冬囲い)です。五箇山とか山の方に行ったら、暖冬で雪の一つも積もってないのに、筵やブルーシートで銅像がきっちりと囲われて見ることができなかったのです。ショックでした。冬季以外にまた来ないといけない、と思いました。

では、富山県の始まりです!

 

〇富山の薬売り

 富山の売薬は16世紀中ごろに始まるとされる。江戸時代になって財政難に苦しんだ富山藩は、2代藩主前田正甫が製薬を奨励し、富山反魂丹が開発されたところから発展したという。明治以降は、西洋医薬や法令によって富山売薬は苦境に立たされたが、団結して乗り越えたという。現在は、配置家庭売薬を中心にドラッグストア経営や後発医薬品の販売などで地道に展開しているようだ。 

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 <富山の薬売り像>

場所:富山ステーションフロントCiC富山市新富町1-2付近)

竣工: 1992年3月

像高:

作者:

撮影時: 2018年12月1日

説明:富山駅南口の横断歩道を渡ったところの広場に2つある。富山の売薬の特徴の一つである、「おまけ(おみやげ)」渡しがここでも紹介されている。座っている像の方で、少女が手に持つのは「おまけ」の紙風船である。

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もう1体を下記に紹介する。かつてはJR富山駅南口の郵便ポストの上にあった小さなブロンズ像(1989年。田畑功作)だが、新幹線開業による駅の開発で、現在はCiCのお土産物屋「ととやま」の売薬コーナーの奥に鎮座している。

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安田善次郎 (1938~1921)

 明治から大正期の実業家。安田財閥の祖。富山県富山市生まれ。第三国立銀行安田銀行(のちの富士銀行、現在のみずほフィナンシャルグループ)を核に、損保会社(現損保ジャパン)や生命保険会社(現明治安田生命保険)、東京建物などを設立した。事業支援や事業育成に情熱を捧げ、自らの哲学に適った社会事業には積極的に寄付をした。東京大学安田講堂(匿名を希望したらしい。安田の死後にその名がつく)日比谷公会堂などがそうである。1921年大磯の別邸で、朝日平吾に暗殺された。 

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 <安田善次郎像>

場所:明治安田生命富山ビル(富山市宝町1-3-10))

竣工: 1995年10月(元は1913年。複製は1957年)

像高:

作者: 北村四海作を息子の北村正信が複製。

撮影時: 2018年12月1日

説明:ビルの2Fには「安田善次郎翁記念室」があり、その入り口にも胸像があるが、残念ながら撮影していない。次回までのお楽しみとしておこう。また寄贈した日比谷公会堂内にも胸像があるらしい。

 

大伴家持 (718?~785)

 奈良時代の公卿・歌人大伴旅人の子・三十六歌仙の一人。『万葉集』の編纂に関わった歌人として有名。746年から越中守として赴任。751年に帰京。したがって富山県内には家持像が多い(10体程度か?)。

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大伴家持像>

場所:高志の国文学館(富山市舟橋南町2)

竣工: 2012年7月(高志の国文学館の竣工の年)

像高:

作者: 米治一(複製)

撮影時: 2018年12月1日

説明:文学館のエントランスにいる。多くの家持像と同じく、右手に筆、左手に紙を持つ。これは1953年に米治一が作り、元高岡駅前に立つ像(現在は二上山山頂)の模刻で、銅像ではなくFRP樹脂製である。

 

 

浅野総一郎 (1848~1930)

 明治から昭和初期にかけて活躍した実業家。越中国射水郡藪田村(現富山県氷見市)生まれ。家業の医師でなく商人を志し、砂糖水やおでんを売って貯金を作ると、さまざまなモノを売って儲けていった。セメントの重要性に早くから着目し、浅野セメント(現太平洋セメント)を創設、そこから港湾施設の建設や造船所などを作り、京浜工業地帯の形成に寄与し、浅野財閥を築いていった。一方で科学に強い人材の育成の必要性を感じ、浅野綜合中学校(現浅野中学校・高等学校)を創設した。 

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浅野総一郎像>

場所: 高志の国文学館(富山市舟橋南町2)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2018年12月1日

説明:2016年の企画展の際に展示し、そのままあるような気がする。神奈川県の浅野学園や東京都江東区の浅野コンクリート深川工場などの銅像と同じで、帽子、半ズボンにゲートルをまいた姿である。

 

※2022年6月25日。投稿に従い、「安田善次郎」部分を訂正、加筆。