銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

群馬県編 その2

〇矢島八郎 (1850~1921)

 政治家。群馬県議、衆議院議員(3期)初代高崎町長、初代高崎市長。上野国新町生まれ(現群馬県高崎市)。代々高崎町の運送業者で父の跡を継ぎ、上野鉄道、碓氷馬車鉄道などの社長を歴任、鉄道の高崎駅開業に際し、私有地を提供するなど、高崎の町の発展に寄与した。 

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<矢島八郎像>

場所:観音山公園(群馬県高崎市石原町2401)

竣工: 1954年9月再建(1930年4月のものは金属供出)

像高:

作者: 分部順治(初代は森村酉三)

撮影時: 2019年8月18日

説明:観音山公園の駐車場から進み、左手の道を下った清水寺近くにある。今では観音山のはずれのような気がするが、白衣観音像ができるまでは、清水寺辺りが観音山の中心だったこと、現在は木が茂っているが、像の立っているところからは高崎駅が見下ろせることだという。矢島八郎は高崎駅の開業に際して、市は「矢島町」にしようとしたが、八郎は固辞して「八島町」になったとの経緯がある。また初代の像を造った森村酉三は、高崎白衣観音像の作者。この矢島像の建設会の委員長が井上保三郎で観音像の発起人なので、この矢島像の製作をめぐる森村と井上の出会いが観音像製作につながったのではないか?との説が載っていた(ブログ「隠居の思ひつ記」http://inkyo.gunmablog.net/e356570.html)。

 

 

〇小柏朝光 (1890~1961)

実業家。群馬県甘楽郡新屋村生まれ。高崎板紙㈱(のち高崎製紙)の2代目社長。高崎商工会議所会頭などを歴任した。 

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<小柏朝光像>

場所:観音山みはらし台公園(群馬県高崎市石原町2473付近)

竣工: 1952年5月

像高:

作者: 吉田三郎

撮影時: 2019年8月18日

説明:矢島八郎像からさらに道を下っていくと、「みはらし霊園」が見えてくるが、そのちょっと上の「みはらし台公園」に像は立つ。もともとは寿像であった。台座もなかなか立派である。前出のブログ「隠居の思ひつ記」の迷道院高崎氏は、この像は慈眼院の井上像とともに(?)、元は高崎製紙の工場内(工場は閉鎖された)に立っていたのではないか?と推測している。確かに鄙びた場所の割には台座が立派過ぎる気がしていたのだ。

 

 

〇山田徳蔵 (1885~1964)

 実業家。高崎市呉服商新潟県柏崎生まれ。観音山の裏手の金沢山を1919年から手作業で掘って洞窟を構築、約400mの洞窟を彼岸に見立てた「洞窟観音」を作った。現在は「洞窟観音山徳公園」となっている。 

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<山田徳蔵像>

場所:洞窟観音山徳公園(群馬県高崎市石原町2857)

竣工: 1957年

像高:

作者: 分部順治

撮影時: 2019年8月18日

説明:公園の駐車場奥の山際にある。寿像であったようだ。係りの人はそろいの法被を着ていてちょっと怖かった。駐車場は有料ではないので大丈夫!

 

 

〇桜井臣治 (1911~1986?)

 実業家。高崎市生まれ。貨物運送業を営みながら、群馬県トラック協会会長、高崎交通安全協会理事長を長期にわたって務めた。 

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 <桜井臣治像>

場所:高崎交通安全協会群馬県高崎市問屋町4-8-9)

竣工: 1988年4月

像高:

作者: 分部順治

撮影時: 2019年8月18日

説明:環状線という幹線道路と上越線の交差する近くにある。またちょっと近くには中曽根康弘資料館(高崎市末広町44-7)があるが、行ったときは開館日なのに閉館していた。その後氏の死去が報じられた。群馬県選出の総理大臣で銅像存在が確認できないのは中曽根氏だけなのだ。もしかすると館内に像があるかもしれないのだが、残念ながら確認できなかった。