銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

群馬県編 その4

先週は、コロナ禍の中、鹿児島に遠征していたためお休みしました。また週一のペースで更新したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

〇林胤吉  (?~?)

 昭和期の教育者。沼田市立池田小学校の校長。 

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 <林胤吉像>

場所:池田小学校(群馬県沼田市発知新田町533)

竣工: 1954年8月

像高:

作者: 能登藤吉郎

撮影時: 2019年8月18日

説明:校門を入るとすぐ左に体育館があるが、その入り口付近にいる。

 

〇大島恭龍  (1913~1981)

 曹洞宗の僧侶。高知県生まれ。各地の観察所所長、住職などを歴任した。 

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<大島恭龍像>

場所:迦葉山弥勒寺(群馬県沼田市上発知町445)

竣工: 1987年?

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月18日

説明:迦葉山は正式名称が、「迦葉山龍華院弥勒護国禅寺」という。848年建立の古刹で、天狗の寺として知られ、東京の高尾山薬王院、京都の鞍馬寺とともに「日本三大天狗」として数えられるという。像は、本堂よりも奥の「青年研修道場」の入り口に立つ。

 

〇永井鶴二 (1935~1996)

 政治家。群馬県利根郡川場村生まれ。27歳で村議会議員、31歳で町長に就任(この当時は日本最年少)、4期務めた。農業と観光を組み合わせた施策などで注目された。東京の世田谷区との交流事業を進めた。

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<永井鶴二像>

場所:川場村文化会館(群馬県利根郡川場村大字谷地2409-1)

竣工: 2012年11月

像高:

作者: ㈱立体写真(盛岡公彦)

撮影時: 2019年8月18日

説明:この村長の世田谷区との交流事業から、平成の大合併時に川場村は、世田谷区との合併を模索したとされる(実現はしなかったが)。

 

大場啓二 (1923~2011)

 官僚、政治家。山形県最上郡舟形町生まれ。東京都の職員から1975年世田谷区長となり、7期28年にわたって区政に尽力した。群馬県川場村との交流をおこなった。川場村の名誉村民となった。 

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 <大場啓二像>

場所:川場村文化会館(群馬県利根郡川場村大字谷地2409-1)

竣工: 2012年11月

像高:

作者: ㈱立体写真(盛岡公彦)

撮影時: 2019年8月18日

説明:永井鶴二像と並んで立っている。交流事業を進めたとしても、全く関係ない町の方が銅像になるケースはレアなのではないだろうか?

 

新井耕吉郎 (1904~1946)

 農業技師。群馬県利根郡東村(現沼田市利根町)生まれ。日本統治下の台湾において紅茶の栽培、普及に尽力したことから、「台湾紅茶の父」と呼ばれる。

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新井耕吉郎像>

場所:新井耕吉郎記念碑(群馬県沼田市利根町園原1370)

竣工: 2009年10月

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月18日

説明:人里離れたの山間の農地の真ん中にこの像は立つが、この地は氏の娘の墓所。台湾では戦後紅茶の栽培が進んだが、一時は粗悪な品が流れて衰退したらしい。しかし、1999年の台湾大地震から見直しが進み、氏の功績が再注目され、台湾の富豪許文龍(「奇美グループ」の創設者)が、氏の偉業に感銘して胸像を4体作り、3体が台湾に(南投県の茶業改良場魚池分場資料館・日月潭風景地区・奇美博物館)、残り1体が氏の遺族へと贈られ、それがこの地に立つ。日本で像を立てるのにこの地を選んだのは氏の娘婿である。

  

新田義貞 (略) 

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新田義貞像>

場所:うつぶしの森(白佐波神社)(群馬県沼田市白沢町高平75-1)

竣工: 1963年再建(1938年に立てられるが、戦時中の金属供出で無くなる)

像高: 30㎝程度

作者:

撮影時: 2019年8月18日

説明:尾瀬探索の拠点の片品村に向かう道沿い、白沢小学校の脇の木立の中に立つ。入沢さんと言う方が立てたようだ(再建も。別人なので親族か?)。 

 

〇久米民之助 (1861~1931)

 土木技術者、実業家、政治家(衆議院議員4期)。上野国沼田(現群馬県沼田市)生まれ。工部大学校を卒業後、宮内省二重橋を設計)、工部大学校助教授を歴任、その後大倉組商会(現大成建設)に入社した。その後独立(久米工業事務所)すると、鉄道工事を手掛けた。さらにタバコの会社を興すなど活躍した。晩年故郷の沼田城址の公園化に情熱を注ぎ、生前に完成はしなかったが、現在沼田公園として整備され、氏の胸像が園内に立つ。 

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<久米民之助像>

場所:沼田公園(群馬県沼田市西倉内町652)

竣工: 1896年(これは像のできた年と思われる)

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月18日

説明:像は公園の入り口のロータリーの中にいる。この一族はすごくて、氏の長女は沼田藩の本家五島家を継ぐが、その婿が五島慶太東急グループ創始者)。長男は洋画家、二男は建築家(久米設計創始者)を設立している。

 

真田信之(信幸) (1566~1658)

 安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。信濃上田藩の初代藩主、のち信濃松代藩初代藩主。戦国末期から上野沼田は戦略上の拠点となるため、争奪戦が続くが、真田氏は徳川氏、上杉氏に臣従しつつ北条氏と争い、信之の父昌幸が豊臣秀吉に臣従すると、再び徳川氏の与力大名となった。その際に信之は本多忠勝の娘、小松姫を娶った。1590年の小田原攻めの発端となったのはここ沼田領の割譲問題であり、小田原攻め後に初代の沼田城主となった。 

小松姫 (1573~1620)

 安土桃山時代から江戸時代初期の女性。本多忠勝の娘(幼名は於子亥<おねい>)。徳川家康もしくは秀忠の養女となって真田信之に嫁ぎ、4人の子を産んだ。 

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真田信之小松姫像>

場所:沼田公園(群馬県沼田市西倉内町652)

竣工: 2015年12月

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月18日

説明:石像である。公園内に進み、本丸跡の右側のつつじの植わっている園地内に立つ。

 

なお、老神温泉にあった金子隣一郎・若子氏夫妻の像(群馬県沼田市利根町老神379付近)は、行ったときに邸宅を工事中(解体中?)でその存在を確認できなかった。夕立と老神温泉のお祭りの最中で、車を停めることもできなかった。ご存知の方がいたら教えていただきたい。

また、高井清忠像が、みなかみ町の高井公園(群馬県利根郡みなかみ町後閑1064=古馬牧小学校近く)にあるとされたが、その場所が特定できなかった。

【更新です】

※地図を見ていたら分かりました。JR上越線後閑駅から古馬牧小学校に向かい、小学校の北北東の畑の中にありました。目印にあるものがないので(あるブログに「熊野神社の跡地」だとありました:CRAZYBOWLERさんの「活学問~生涯、学習」というブログです)、また現地に行っても見つけられないかもしれません…。

 

沼田市役所は、「TERRACE沼田」というこじゃれた施設に移っていた。細谷浅松像がそこにあったはずだが、見た感じ見当たらなかった。旧沼田市役所は「沼田市西倉内町780」で、おそらく今は建て替え中でしょう。銅像はどこに移ったのだろう?