〇ルートヴィッヒ=ヴァン=ベートーヴェン (1770~1827)
ドイツの作曲家、ピアニスト。音楽史上重要な作曲家の一人で、日本では「楽聖」と呼ばれている。その作品は、古典派音楽の集大成でかつロマン派音楽の先駆けとされる。
<ベートーヴェン像>
場所:鳴門市ドイツ館(徳島県鳴門市大麻町桧字東山田55-2)
竣工: 1997年5月
像高:
作者: ペーター=クッセール(ドイツ人彫刻家)
撮影時: 2014年1月7日
説明:鳴門市ドイツ館は、第一次世界大戦の敵国であったドイツ人の捕虜を収容した、「板東俘虜収容所」があったところ。1917年に開所し、当初953人が収容された。捕虜の処遇は寛大で、生活も自由にできた。その中で1918年、日本ではじめてベートーヴェンの「第九」が演奏された。その関係でこの地にベートーヴェン像が立つ。なお、鳴門ドイツ館では、ドイツ兵の等身大ロボットによる「第九」の演奏が30分おきに繰り広げられている。
なお、2018年6月に元収容所長「松江豊寿」像が新たに立てられた(撮れていない)。
〇賀川豊彦 (1888~1960)
大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、無産政党運動、生活協同組合運動などに重要な役割を担った。日本農民組合創設者。兵庫県神戸市生まれ。4歳で父母を失うと、徳島県鳴門市東馬詰の本家に引き取られた。その徳島で受洗した。その後さまざまな活動に従事し、戦後にはノーベル文学賞、平和賞の候補にたびたび上がった。「友愛・互助・平和」を説いた。
<賀川豊彦像>
場所:鳴門市立賀川豊彦記念館(徳島県鳴門市大麻町桧字東山田55-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月7日
説明:館の入り口に立つ。なお賀川豊彦の銅像は、かつて中野総合病院(現東京医療生協新渡戸記念中野病院)の脇の桃園川緑道沿いにあったが、破棄されてしまったらしい(ブログ「コラボ・コープOB」による)。また渋谷のコーププラザ玄関フロアに乾漆像の賀川豊彦像がある(小杉三郎作)。アメリカのワシントン大聖堂には賀川豊彦の彫像(石膏像か?)があるらしい。
下記写真は、中野区にかつてあった「賀川豊彦」像。
〇中西仁智雄 (1915~1996)
医師。徳島県板野郡松茂町生まれ。阿波(徳島県)の文化の伝承に熱心で、藍染めの復活運動や人形浄瑠璃芝居資料のコレクターとしても有名だった。
<中西仁智雄像>
場所:松茂町歴史民俗資料館(徳島県板野郡松茂町広島字四番越11-1)
竣工:
像高:
作者: 宮本光庸
撮影時: 2014年1月5日
説明:資料館の館内、中西仁智雄コレクションの展示の入り口にいる。中西氏は自分の人形浄瑠璃芝居のコレクションを1993年に町へと寄贈した。展示物は一見の価値がある充実したものである。
これ以外に、極楽寺(鳴門市大麻町桧字ダンノ上12)に「田淵義雄」像(四国八十八か所霊場巡りの「四国霊場会」特任大先達)。旧吉野川河口堰に「三木與吉郎」像(政治家、実業家)。があるが、今回は撮れなかった。
今回の徳島編は以上である。全62件。うち15体が未探索となった。この頃はまだ、像の作者などを気にしていなかったので、わからないものも多い。「日本の銅像探偵団」サイトがリニューアルされ、そうした点が強化されたものになっているので、再度回る時にはそのあたりを意識して周りたい。