銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

香川県編 その1

 今回から香川県編が始まります。香川県は2014年と2019年の2度にわたって訪問しています。

 

〇伊賀小四郎 (1877~1968)

 教育者。香川県阿野郡畑田村(現綾歌郡綾川町)生まれ。20歳のとき畑田尋常小学校で教員生活をはじめ、79歳で県教育委員会委員を辞するまで、実業教育、青年教育(教員養成)の振興に努め、香川県の教育界に貢献した。

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 <伊賀小四郎像>

場所:琴電岡本駅付近(高松市岡本町1575)

竣工: 1946年10月(当初の銅像は1933年6月竣工。1943年金属供出)

像高:

作者:

撮影時:2019年1月27日

説明:石像である。台座は当初のもののようで、当初の銅像は建設計画から5年の歳月がかかっているが、建設資金の募集方法と建設地が決まらずに時間がかかったようだ。建設地は踏切を渡ったところにある「奈良須池」畔が選ばれ、資金は教え子が中心となったようだ。1933年段階では伊賀氏はご存命で、文部省からの顕彰がきっかけだった。台座の下に胸像がぽつんと置かれている。 

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倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト) (?~?)

 記紀などに伝わる古代日本の皇族(『古事記』では「夜麻登登母母曽毘売」)。7代天皇孝霊天皇の娘。『日本書紀』によると、大物主神三輪山の神。大神神社の祭神)と結婚したとされる。この話は「箸墓伝説」とされ、箸墓古墳に葬られたといわれる。

 

吉備津彦命 (?~?)

 記紀などに伝わる古代日本の皇族。記紀ともに正式名は「ヒコイサセリヒコ」(『日本書紀』は「彦五十狭芹彦命」、『古事記』は「比古伊佐勢理毘古命」)。7代孝霊天皇の皇子。四道将軍の一人として西道に送られ、墓所岡山県にある(「中山茶臼山古墳」)。岡山市吉備津彦神社は、吉備津彦命の霊廟とされる。

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倭迹迹日百襲姫命吉備津彦命像>

場所:田村神社香川県高松市一宮町字宮東286)

竣工: 2003年12月

像高:

作者:

撮影時:2019年1月27日

説明:田村神社は、讃岐国一宮。祭神は「田村大神」だが、これは「倭迹迹日百襲姫命」と「吉備津彦命」ほか、猿田彦大神、天隠山命、天五田根命の5神の総称。なぜ讃岐なのかは謎?境内では「桃太郎伝説」の像とされ、イヌ・サル・キジを従え、鬼退治に向かうところとされる(「吉備津彦」=桃太郎はいいが、そこに「倭迹迹日百襲姫命」(「吉備津彦の姉」が登場するのはいかなものか?)。

 

〇中西小太郎  (1884~?)

 香川県香川郡鷺田村(現高松市)の篤農家。 

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<中西小太郎像>

場所:ことでんバス鶴尾バス停付近(香川県高松市松並町544)

竣工: 1932年10月

像高:

作者:

撮影時:2019年1月27日

説明:石像。バス停のちょっと先にある。前の道は「金毘羅街道(高松街道)」で、高松市から金刀比羅宮に至る道である。地域の有志がこの石像を立てたようで、頌徳碑にある「松平伯爵」は、旧高松藩の流れの松平頼壽(まつだいらよりなが)であろう。

  

〇国東理三郎(くにとうりさぶろう) (1910~?)

 実業家。高松市生まれ。市議会議員から高松市長となった父、国東照太を助け、トキワグループの各企業の発展に寄与した。香川県製紙工業会理事長を長年務める。 

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<国東理三郎像>

場所:トキワテニスクラブ(香川県高松市今里町1-385)

竣工: 1992年1月

像高:

作者:

撮影時:2019年1月27日

説明:トキワグループの会長として、トキワテニスクラブも設立したようだ。像が立った時にはまだご存命だった模様。構内に父の国東照太の胸像も立つ。

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南原繁 (1889~1974)

 政治学者。東京大学名誉教授。東京帝国大学総長。香川県大川郡南野村(現東かがわ市南野)生まれ。戦後貴族院勅撰議員に選ばれ(1946~47)、吉田茂首相と全面講和論を掲げて論争となる(「曲学阿世の徒」と批判)。 

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 <南原繁像>

場所:相生多目的研修センター(香川県東かがわ市南野103-2)

竣工: 1978年

像高:

作者:渡辺弘行

撮影時:2019年1月27日

説明:この地は旧相生小学校の跡地で、南原繁の母校。2011年に廃校となった。地図上では「相生ビオランド」と表記されるかもしれない。

  

〇野網和三郎 (1908~1969)

 実業家、水産家。香川県引田町(現東かがわ市)出身。1927年、郷里の安戸池でブリ(ハマチ)の養殖に成功した。海水魚の海水面での日本はもとより、世界でも初めてだった。戦後は日本かん水養魚協会会長などを歴任した。 

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<野網和三郎像>

場所:ソルトレイク引田(香川県東かがわ市引田4373)

竣工: 1970年8月

像高:

作者: 黒田晃

撮影時:2019年1月27日

説明:安戸池(“あどいけ”と読む)は、昭和30年代あたりまでは、養殖ハマチのブームで観光地化していていたようだが、行ったときは閑散とした感じで、ソルトレイク引田の「ワーサン亭」(野網和三郎のあだ名から)だけがぽつんと立っている状況だった。

 

〇棚次辰吉(たなつぐたつきち) (1874~1958)

 実業家。大阪手袋工業の創設者。香川県大内郡白鳥村(現東かがわ市松原)出身。大阪で手袋の製造技術を学び、1897年にメリヤス加工のミシンを考案し、大阪手袋工業を起こした。

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<棚次辰吉像>

場所:白鳥神社の手袋公園(香川県東かがわ市松原69)

竣工: 1957年5月

像高:

作者: 小倉右一郎

撮影時:2019年1月27日

説明:この白鳥は、日本一の手袋生産地らしい。もともとは辰吉の叔父にあたる両児舜礼(ふたごしゅんれい)という僧侶が(還俗して)、妻の三好タケノと始め、舜礼の死後、従兄弟の辰吉が事業を引き継ぎ、拡大していったらしい。またこの地域は製塩業や白砂糖製造が生業だったが、明治後期には安い海外産のものに押されて生産が減少し、衰退してところで、この手袋生産が地域再生になったという。

 

〇讃岐の庄松(しょうま) (1799~1871)

 江戸時代の妙好人浄土真宗の在俗の篤信者)の一人。讃岐国大内郡土居村生まれ。谷口清七の子として生まれたが、小作農の家で貧しく、様々な内職をしながら生活し、生涯独身であった。勝覚寺で寺男のような暮らしをしていたらしい。鈴木大拙が『日本的霊性』の中で高く評価したことで有名。

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<讃岐の庄松像>

場所:勝覚寺(香川県東かがわ市三本松426)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月27日

説明:まだ一所懸命竣工時や作者を見ていないので、台座にいろいろ書いてあったようだが、記録が残っていません。また訪問しないといけないですね。妙好人島根県でも見ましたが、どちらも全国的に有名だったようです。江戸時代後半は気候も不安定で、農民は生活が不安定だったことも、信仰心を高める結果につながったかもしれませんね。

 

〇保井コノ(やすいこの) (1880~1971)

 植物学者。日本女性初の理学博士。お茶の水女子大教授。香川県大内郡三本松村(現東かがわ市三本松)生まれ。女子高等師範学校(現お茶の水大学)卒業後、シカゴ大、ハーバード大で学び、帰国後女子高等師範学校教授となった。専門は植物学、細胞学。

 

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<保井コノ像>

場所:旧三本松小学校(香川県東かがわ市三本松862-1)

竣工: 1977年6月

像高:

作者: 黒田晃

撮影時:2019年1月27日

説明:三本松小学校は2019年3月に閉校となった。奇しくも閉校直前に訪れたようだ。2021年に校舎を解体するようだが、銅像がどうなるのか?