〇明智光秀 (1516?~1582)
戦国から安土桃山時代の武将。美濃国可児郡明智生まれか?最初は斎藤道三、その後越前の朝倉義景に仕え、さらに足利義昭に、最後は織田信長に仕えた。1571年の比叡山焼き討ちに活躍し、近江坂本城主となる。その後も越前一乗谷や丹波の攻略で活躍するも、1582年に突如主君の織田信長を京都本能寺に討った。しかし、直後の山崎の戦いで羽柴秀吉らに敗れ、本拠の坂本城を目指すところを討たれたという。

<明智光秀像>
竣工:1995年3月
像高:
作者:
撮影時:2022年10月9日
説明:石像である。坂本城址公園は地域のまちづくり推進協議会の手で守られているようで、訪れた日も雨交じりの中、おじいさんたちが熱心に解説をしていた。ぜひ亀岡のように銅像を立ててほしい思った。
〇最澄 (767~822)
平安時代の僧侶。近江国滋賀郡古市郷もしくは坂本(いずれも現滋賀県大津市)生まれ。日本の天台宗の開祖で、伝教大師と呼ばれる。俗名は三津首広野。遣唐使の船で唐に渡り仏教を学ぶと、比叡山延暦寺を開いて日本の天台宗の開祖となった。

<最澄像>
竣工:2000年 12月
像高:
作者:山田良定
撮影時:2022年10月9日
説明:「若き日の最澄」とのコピーがついている。19歳で比叡山に修行に入ったのだが、その19歳時のイメージで作られた。
〇最澄(幼少期)
略

<最澄(幼少期)像>
場所:生源寺(しょうげんじ)(滋賀県大津市坂本6-1-17)
竣工: 1979年9月
像高:
作者:小森寸龍
撮影時:2022年10月9日
説明:生源寺は最澄の父、三津首百枝の居館の跡で、延暦年間(782~806)に最澄が創建した寺。門を入って右側に、最澄産湯の井戸とこの像がある。寺は京阪電車の坂本駅のすぐそばである。
〇叡南祖賢(えなみそけん) (1903~1971)
現代の天台宗の僧侶。愛知県丹羽郡豊富村(現愛知県一宮市)生まれ。本名伊藤賢一。1910年に7歳で得度、1924年に登壇受戒。1944年に千日回峰を成し遂げる。1949年安楽律院の住職となり、その後叡南祖賢となる。1963年比叡山執行となる。

<叡南祖賢像>
竣工: 1988年5月
像高:
作者: 丸山幸一
撮影時:2022年10月9日
説明:律院は、松禅院があったところで、叡南祖賢が再興した寺。行った時もスピーカー越しに護摩供が聞こえていた。ちなみに現在の住職も叡南祖賢も大阿闍梨(伝法阿闍梨の中でも徳の高いもの)であり、京都の銘菓「阿闍梨餅」は、この大阿闍梨の千日回峰の阿闍梨の被る網代笠をイメージしたものだそうだ。
〇真盛上人 (1443~1495)
戦国期の天台宗の僧侶。伊勢国一志郡仰木(現三重県津市一志町)生まれ。天台宗真盛派(現天台真盛宗)の祖。戒律と称名念仏の一致を唱え、無欲と慈悲を説いた。近江坂本の西教寺を再興し、本寺とした。

<真盛上人(幼年期の像で、宝珠丸)像>
竣工:
像高:
作者:山崎正義
撮影時:2022年10月9日
説明:作者は、晩年の真盛上人像から骨格を調べ、幼年期の姿を計算して作ったという。寺の宗祖大師殿の敷地内で、そちらを向いて立っている。