銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

鹿児島県編  その3

 

山中貞則 (1921~2004)

 政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村(現鹿児島県曽於市)生まれ。鹿児島県議会議員を経て、衆議院議員(17期)。沖縄開発庁長官、防衛庁長官通産大臣自民党政調会長などを歴任した。税制のスペシャリストとして君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。豪快な人柄でエピソードが尽きず「山中伝説」が多く残る。

山中貞則像>

場所:山中貞則顕彰館(鹿児島県曽於市末吉町深川5921-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2021年3月30日

説明:山中貞則の自宅、事務所が顕彰館となっている。非常に丁寧な展示ながら、この日は忙しかったので、玄関先で胸像を一体撮っただけで後にしてしまったが、1Fの「信の間」にもう一体あったことを見落としていた(今、写真を見ると奥に見えているのにね)。また、曽於市中央家畜市場(鹿児島県曽於市大隅町月野1984-1)に大きな立像がある(下記:1960年2月竣工。立体写真像㈱製作)。

 

〇弥五郎どん 

 主に南九州地方(宮崎県と鹿児島県)に伝わる伝説の巨人(大人伝説)。「大人弥五郎(おおひとやごろう)」「弥五郎様」とも呼ばれる。ダイダラボッチのような大男で、山に腰掛け、海の水で顔を洗うほどの大きさだったという。村人を助けたり、時には悪戯をしたりなどして、村人を困らせつつ、おおむね友好的な関係であったとされる。弥五郎のモデルや伝説の起源は明らかではないが、奈良時代までこの地にいて、朝廷から討伐された「隼人族」のリーダーとの説が最も広まっている。宮崎県都城市や日南市、鹿児島県曽於市では「弥五郎まつり」がおこなわれている。

<弥五郎どん像>

場所:大隅道の駅弥五郎どんの里(鹿児島県曽於市大隅町岩川6137-8)

竣工: 1996年3月

像高:15m

作者: (竹中製作所)

撮影時:2020年3月 20日

説明:道の駅のシンボル的な存在。遠くからも大変目立つ。施設内の「健康ふれあい館」内にも小ぶりな像が立つ(下記)。

 

 

〇迫田定則 (1915~1985)

 農政家、政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村(現鹿児島県曽於市)生まれ。農協に就職し、旧末吉町農協組合長理事。この間県議会議員などを歴任した。

<迫田定則像>

場所:そお鹿児島農協末吉支店(鹿児島県曽於市末吉町本町1-6-1)

竣工: 1986年10月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月 20日

説明:次の内村静像と並んで立っている。

 

〇内村静 (1905~1973)

 農政家、政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村(現鹿児島県曽於市)生まれ。農協に就職し、戦後旧末吉町農協組合長となる。その間町議会議員などを歴任した。

<内村静像>

場所:そお鹿児島農協末吉支店(鹿児島県曽於市末吉町本町1-6-1)

竣工:1986年10月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月 20日

説明:上の迫田定則像と並んで立っている。

 

川路利良(かわじとしよし) (1834~1879)

 警察官僚、薩摩藩士。薩摩国日置郡鹿児島近在比志島村(現鹿児島県鹿児島市)生まれ。藩内の武士としての身分は低かったが、禁門の変の際に、長州藩のリーダーの一人、来島又兵衛を狙撃し倒す、という戦功を挙げ、戊辰戦争鳥羽・伏見の戦いでも活躍した。明治維新後は、警察制度の確立に尽力し、警視庁創設に伴い初代大警視(現警視総監のこと)に就任した。西南戦争では政府側に立ち、陸軍少将も兼務して戦績を挙げた。

川路利良像>

場所:民部塚(鹿児島県霧島市横川町中ノ5645-1)※近くの「特養横川緑

   風園」住所

竣工:1990年 5月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月 21日  

説明:人里離れた「民部塚」の地であるが、ここは西南戦争で川治の率いた「別働第三旅団」が活躍した地であり、戦国時代に島津義弘に攻められ、この地で亡くなった北原民部之助が、川治の祖であるので、その縁と言う意味もあるようだ。民部塚の場所は、県道55号線(栗野加治木線)を栗野方面へ向かい、「横川物産館」のところで右へ曲がり、上記住所で表した特養を左手にみて進むと、九州縦貫自動車道を渡るのだが、その手間の道路左側に立つ。なお、川治像は、鹿児島県警本部前(鹿児島市鴨池新町10-1:1999年)があり(今回は写真は撮れず)、また東京の警視庁警察学校内には北村西望作の立像がある(Wikipediaによる)。

 

 

坂本龍馬とお龍

 略

坂本龍馬とお龍像>

場所:塩浸温泉(しおびたしおんせん)龍馬公園(鹿児島県霧島市牧園町窪田3606)

竣工:1989年11月

像高:

作者: 楠元香代子

撮影時:2020年3月21日

説明:坂本龍馬の説明は高知県編で、坂本お龍の説明は神奈川県編でしているので略させてもらいます。この地は、龍馬が寺田屋で襲われケガをした療養のために、西郷隆盛の勧めでお龍と鹿児島を訪れた時(日本ではじめての新婚旅行とされる)、個々の塩浸温泉で傷を癒したとされることから作られた。鹿児島空港から国道223号線を霧島温泉郷に上がっていく入り口付近にあたり、20年ほど前に訪れたときは、日帰り温泉施設があったと思ったが、その後一時福祉施設となり、2010年に「塩浸温泉龍馬公園」となった。入浴施設が新設され、龍馬の資料館や足湯も作られた。

下に2003年に訪れた時の写真も付けておきましょう。この旅行は同僚たちとの慰安旅行でした。そう言えば、写真を撮りたいとわざわざ寄ってもらったのでした…。